Diary to my 13 years old self 02
その日私は、8時半に始まる学校の初日のために6時半に起きた。少し早いのには理由があった。それは、ホストマザーが仕事にいくため、私とホストブラザーを早めに学校に降ろしてくれるためだった。朝起きたら、キッチンのテーブルの上にはみんなの朝ごはんがワンプレートに一人ずつ用意されていた。白いご飯と、ポチギソーセージに赤いソースがついて、それからスクランブルエッグのプレート。赤いソースは少し辛めでびっくりした。でもおいしい。外が暗いなか、それを眠い目をこすりながら食べて、トラックの荷台にバックパックを担いで飛び乗った。学校がある街は隣町。私はトラックの荷台に揺られて、ゆらゆらどこどことワイメアまで向かう。朝は少し肌寒くて、パーカーを着てちょうどいいくらいだった。大きな犬二匹にバイバイを言い、海沿いを車は走る。海はとても茶色で砂浜も黒い。高い建物がないから、空がとても広くて、でもベージュと濃い群青の混ざったようななんとも言えない色の空だ。心地いいものではなかった。
学校の初日のその体験は、全然ワクワクする体験ではなく、私のハワイでの学校生活はとてもあっけなく始まったのだった。
学校について、ホストマザーが「Have a nice day!!」といって車を降ろしてくれたが、そのまま車は離れていき、私はひとりぽつんとひろい学校でたたずんでしまった。ホームルームが始まるまであと30分ある。そしてどこがホームルームの場所かがわからない。なぜかというと、場所もわからなければ、渡された紙に書いてある英語も読めない。ちょうど3週間前まで、日本に住んでいた女の子が英語だけの生活に入った瞬間だった。誰も知り合いもいなければ、初めての場所。
不安が一気に私の中に襲ってきた。不安というかなんというか焦りと寂しさだ。とにかく時間になったら、ホームルームに辿り着かなくては! そう思った私は15分前まで、ベンチに座って自分を落ち着かせていたが、やるしかないと決め、近くにいる女の子にすがるように駆け寄った。そして、その子に持っている紙を見せ、身振り手振りで日本語では「この場所はどこですか?ここであってますか?」と言いながらというかそれは私の心の中の言葉で、何も言葉を発せないまま、とにかくあせっている状態を、紙を見せながら示した。そしたら、その子がホームルームの場所まで、連れて行ってくれた。その子に礼を言ったのか、言ってないのか覚えていないが、なんとかホームルームに時間にはたどり着けて、クラスルームには座ることができた。心臓がドキドキして、その時していた、押し花が入っている大事なネックレスを急いで握ったのを覚えている。その押し花が入っている鍵の形をしたネックレスを握る癖はその時についた癖で、それはキリスト教の信者がクロスを握って祈りを込める行為のようなものに似ていた。誰かに助けて欲しかったし、甘えたかったけど、その対象は私にはいなくて、一人でやっていかなくちゃいけないと思ったのもこの頃からだった。そのあと、送る私の学校生活は最初このような思いから始まった。でもたくさんの出会いがあり、驚きがあり、寂しさがあり、嬉しいことがありと、めまぐるしく進んでいき、今思い返しても14才のこの日に感じたひとりぼっちさは今でも手にとるようにわかるし、忘れられない感情として私の中にある。
14才の私は、ハワイはカウアイ島にあるワイメアというまちで学校に通い、全く言葉がわからない、読み書き、そしてとにかく話せない、聞きとれない英語圏で家族から離れての生活が始まった。


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